東京高等裁判所 平成9年(行ケ)334号 判決 1999年6月08日
東京都港区南青山2丁目1番1号
原告
本田技研工業株式会社
代表者代表取締役
川本信彦
訴訟代理人弁理士
鳥井清
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
伊佐山建志
指定代理人
鈴木匡明
同
鈴木康仁
同
井上雅夫
同
廣田米男
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
特許庁が平成9年審判第2180号事件について平成9年10月30日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、発明の名称を「FMレーダ装置」とする発明に係る昭和61年5月2旧出願の特許出願(特願昭61-102480号)の一部について、平成3年8月7日、発明の名称を「FMレーダ装置」(後に「車載用FMレーダ装置」と補正)とする発明(以下「本願発明」という。)に係る新たな特許出願(平成3年特許願第285393号)をしたが、平成9年1月6日に拒絶査定を受けたので、同年2月12日に拒絶査定不服の審判を請求し、平成9年審判第2180号事件として審理された結果、同年10月30日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決を受け、同年11月25日にその謄本の送達を受けた。
2 本願発明の特許請求の範囲(請求項1)
「車両から周波数が時間的に変化するFM波によるビームを走査しながら送信したときの物標からの反射ビームを受信して、受信信号と送信信号の一部とを混合することによって得られるビート信号にもとづいて物標の検知を行う車載用FMレーダ装置であって、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一の周波数帯域を有するビームを時分割的に切り換えて送、受信する手段と、その時分割的な各ビームの送、受信によって得られる各ビート信号の周波数スペクトラムの分析によって物標までの距離を求める手段と、その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られるビート信号のレベルの比にもとづいてその物標の方向を求める手段とを設けるようにしたことを特徴とする車載用FMレーダ装置。」(別紙図面(1)参照)
3 審決の理由の要点
(1) 本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
(2) 引用例
(イ) 特開昭56-164971号公報(審決の第1引用例。甲第6号証。以下「引用例(1)」という。)には、自動車から周波数が時間的に変化する周波数変調波によるビームを送信したときの対象物からの反射波を受信して、受信信号と送信信号の一部とを混合することによって得られるビート周波数信号に基づいて対象物の検知を行う自動車用FM-CWレーダ装置であって、そのビームの送、受信によって得られるビート周波数信号の周波数スペクトラムの分析によって対象物までの距離を求める手段を設けるようにした自動車用FM-CWレーダ装置という技術(以下「引用技術(1)」という。)が記載されている。
(ロ) 昭和59年7月1日電子通信学会発行の「レーダ技術」(2版)268頁ないし279頁、特に271頁ないし272頁(審決の第2引用例。甲第7号証。以下「引用例(2)」という。)には、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一のチャネル(すなわち、同一の周波数帯域)を有するビームを時分割的に交互に切り換えて送、受信する手段と、その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られる受信機出力の振幅の比較にもとづいて目標の方向を連続的に求めるビーム切換方式の追尾レーダ(以下「引用技術(2)」という。)が記載されている。(別紙図面(2)参照)
(ハ) レーダ装置は、一般に、無線電波による方位と距離の測定を目的とするものである。そして、物標までの距離に加えて、物標の方向を測定するために、主ローブの方向が互いに異なる各ビームを時分割的に交互に切り換えて、ビームを走査しながら送信したときの物標からの反射ビームを受信して、その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られる受信信号に基づいてその物標の方向を求めることは、例えば、特開昭53-4932号公報、特開昭60-46477号公報及び特開昭60-256076号公報に記載されるように周知の事実である。
(3) 対比
本願発明と引用技術(1)とを対比したとき、両者は、「車両から周波数が時間的に変化するFM波によるビームを送信したときの物標からの反射ビームを受信して、受信信号と送信信号の一部とを混合することによって得られるビート信号に基づいて物標の検知を行うレーダ装置であって、そのビームの送、受信によって得られるビート信号の周波数スペクトラムの分析によって物標までの距離を求める手段を設けるようにしたレーダ装置」である点で一致し、次の点で相違する。
(イ) 本願発明が「車載用FMレーダ装置」に関するレーダ装置であるのに対して、引用技術(1)は、「自動車用FM-CWレーダ装置」に関するレーダ装置である点(相違点<1>)
(ロ) 周波数が時間的に変化するFM波によるビームを、本願発明は、走査しながら送信するのに対して、引用例(1)には、そのような記載がない点(相違点<2>)
(ハ) 本願発明が、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一の周波数帯域を有するビームを時分割的に切り換えて送、受信する手段と、その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られるビート信号のレベルの比に基づいてその物標の方向を求める手段を有するのに対して、引用例(1)には、これらの構成についての記載がない点(相違点<3>)
(ニ) 物標までの距離を、本願発明は、時分割的な各ビームの送、受信によって得られる各ビート信号に基づいて求めるのに対して、引用技術(1)では、単一のビームの送、受信によって得られるビート信号に基づいて求める点でそれぞれ相違する点(相違点<4>)
(4) 相違点についての判断
(イ) 相違点<1>について
本願発明の「車載用FMレーダ装置」は、引用例(1)に記載された「自動車用FM-CWレーダ装置」を、別異の表現で言い換えたにすぎないものである。
(ロ) 相違点<2>及び<3>について
<1> 引用技術(2)のビーム切換方式の追尾レーダは、前記(2)(ハ)の周知技術と同様に、物標の方向の測定のために、主ローブの方向が互いに異なる各ビームを時分割的に交互に切り換えて送、受信する、すなわち、ビームを走査しながら送信したときの物標からの反射ビームを受信するものである。
<2> そこで、対象物までの距離を求める手段を有する引用技術(1)の車載用FMレーダ装置に、対象物の方向測定手段を有する引用技術(2)を組み合わせることによって、ビート周波数信号BFである引用技術(1)の受信機出力に、周波数が時間的に変化するFM波によるビームを走査しながら送信し、そして、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一の周波数帯域を有するビームを時分割的に切り換えて送、受信する手段と、その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られるビート周波数信号の振幅(すなわち、ビート信号のレベル)の比較に基づいてその物標の方向を求める手段とを設けることは、当業者が容易に想到し得たものである。
<3> なお、本願発明は、逐次得られるビート信号のレベルの比に基づいてその物標の方向を求めるものであるのに対して、上記技術では、逐次得られるビート信号のレベルの相対的な大小関係の比較に基づいて方向を求めるというものであるが、ビート信号のレベルの「比に基づいて」方向を求めることと、ビート信号のレベルの「比較に基づいて」方向を求めることとは同じであって、実質的な差異はない。
(ハ) 相違点<4>について
引用技御(1)のように単一のビームの送、受信によって得られるビート信号に基づいて求める物標までの距離を求めることと比較して、本願発明の距離測定が優れた効果を奏するとは認められず、相違点<4>は、格別のものでない。
(5) むすび
よって、本願発明は、当業者が引用技術(1)、引用技術(2)及び周知技術に基づいて容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
4 審決を取り消すべき事由
審決の理由の要点(1)、(2)、(3)(イ)ないし(ニ)、(4)(イ)、(ロ)<1>及び(ハ)は認め、(4)(ロ)<2>、<3>及び(5)は争う。
審決は、引用技術(2)の認定を誤り、また、本願発明と引用技術(1)との相違点<2>及び<3>の判断を誤った結果、本願発明の進歩性を否定し、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとしたものであり、違法であるから、取り消されるべきである。
(1) 引用技術(2)の認定の誤り
審決は、引用例(2)には、「主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一のチャネル(すなわち、同一の周波数帯域)を有するビームを時分割的に交互に切り換えて送、受信する手段」の技術が記載されている旨認定している。
しかしながら、引用例(2)には、一部が重複するように向きがわずかに異なる2個のビームを時分割的に交互に切り換えて送、受信することが記載されているだけであって、2個のビームが同一チャネル、すなわち、同一の周波数帯域を有しているようなことは何ら記載されてはいない。
引用技術(2)の追尾レーダにおいては、目標がずれのないアンテナ方位にあるときに、ビーム1とビーム2との各受信出力の振幅が同一になるように、交互に切り換えて送信される2個のビームの強度レベル(振幅)が同一であればよいのであって、その原理からして、交互に切り換えて送信される2個のビームは、何ら周波数成分が関与することのない所定の強度レベルをもったものでよく、本願発明のように周波数が時間的に変化するFM波による同一の周波数帯域を有する必要がないものであるから、上記2個のビームは、同一の周波数帯域を有する必然性がなく、したがって、引用例(2)には、2個のビームが同一の周波数帯域を有していることが記載されているはずがないのである。
(2) 相違点<2>及び<3>の認定判断の誤り
(イ) 審決は、相違点<2>及び<3>について、前記3(4)(ロ)<2>のとおり認定判断しているが、前記(1)のとおり、引用技術(2)の認定を誤っている以上、引用技術(1)の車載用FMレーダ装置に、引用技術(2)の方向測定手段を組み合わせたとしても、本願発明が当業者により容易に想到し得るという結論を導き出すことはできないから、上記認定判断は、誤っている。
(ロ) また、審決は、引用技術(2)の構成要素である「その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られる受信機出力の振幅の比較にもとづいて目標の方向を連続的に求める手段」について、引用技術(1)においては、受信機出力はビート周波数信号BFであるとしたうえ、引用技術(2)の「受信機出力」を「ビート周波数信号」に置き換えて、「その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られるビート周波数信号の振幅(すなわちビート信号)のレベルの比較にもとづいてその物標の方向を求める手段」と認定しているが、引用技術(1)と引用技術(2)を単に組み合わせても、引用技術(2)の「受信機出力」として、レーダ監視エリア内に存在する複数の物標を弁別するビート周波数信号が得られるものではないから、引用技術(2)の「受信機出力」を「ビート周波数信号」に置き換えることは、当業者が容易に想到し得るとはいえず、審決の上記認定は、技術面を何ら考慮していないものである。
(3) 顕著な効果の看過
(イ) 本願発明は、レーダの監視エリア内に距離の異なる複数の物標が存在する場合に、各物標に応じた周波数のビート信号がそれぞれ得られることになり、その複数の物標ごとの方向をそれぞれ求めることができるという、引用技術(1)及び引用技術(2)を組み合わせたものでは得られない格別の作用効果を奏するものであって、このような本願発明の格別の効果を看過した審決の認定判断は、違法である。
(ロ) 被告は、原告の上記主張は、特許請求の範囲の記載に基づかないものである旨主張するが、本願発明の特許請求の範囲における「その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られるビート信号のレベルの比に基づいてその物標の方向を求める手段」との記載は、レーダの監視エリア内に存在する単一の物標の方向及び距離の異なる複数の物標の各方向を求めることの両者の意味を有するもとの解すべきである。
第3 請求の原因に対する認否及び被告の主張
1 請求の原因1ないし3は認め、4は争う。審決の認定判断は、正当であって、取り消されるべき理由はない。
2 被告の主張
(1) 引用技術(2)の認定の誤りについて
引用例(2)には、2個のビームが同一チャネル、すなわち、同一の周波数帯域を有しているようなことが明確に記載されてはいないが、また、2個のビームが異なる周波数帯域を有するとも記載されていない。
そして、指向性が異なるアンテナ間の受信レベルの比較により方位を測定する方式として、受信機が1系統であるビーム切換方式は、系統間の特性調整の必要がない、構成が簡単という長所を有する反面、ビーム切り換えに要する時間分だけ、方位測定に時間を要するという短所があることは、当業者において広く知られているところ(乙第2号証ないし第4号証参照)、引用技術(2)において、2個のビームが異なる周波数帯域を有する、すなわち、ビームの切り換えに伴って送信機及び受信機の内部で送受信する電波の周波数帯域を変更するものであるとすれば、短所はそのままで長所である構成の簡単さが失われ、しかも、切り換えるビームごとの特性調整が必要となることになるから、当業者が、ビーム切換方式において、あえて、ビームの切換えに伴って送信機及び受信機の内部で送受信する電波の周波数帯域を変更することを選択することはあり得ないことである。
更に、引用例(2)には、2個のビームが異なる周波数帯域を有することが記載されておらず、図11.3において送信機及び受信機が一系統しかない。
以上によれば、引用技術(2)において、一系統の送信機から切換え出力される2つのビームは、同一の周波数帯域を有しており、また、一系統の受信機にそれぞれ導かれる反射ビームの周波数帯域も同一であるというべきである。
(2) 相違点<2>及び<3>の認定判断の誤りについて
審決が摘示した周知の事実(請求の原因3(2)(ハ))を考慮すると、引用技術(1)において、物標までの距離に加えて、その物標の方向を求めるために引用技術(2)を組み合わせることは、格別困難なものではない。
引用技術(1)と引用技術(2)とを組み合わせた場合、引用技術(1)の「周波数変調波によるビーム」を、引用技術(2)のように、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一の周波数帯域を有するビームとして、これらを時分割的に交互に切り換えて送、受信することとなる。そして、引用技術(1)の周波数変調波によるビームを時分割的に交互に切り換えて送、受信することによって、引用技術(1)においてビームの送、受信の結果として得られる「ビート周波数信号」が、ビーム切り換えに対応して逐次得られることとなる。ここで、主ローブの方向が互いに異なるビームを切り換える以上、受信信号と送信信号の一部とを混合することによって得られるビート周波数信号の振幅は、当然、それぞれの主ローブに対する物標の方位に応じて、切り換えにより逐次変化することとなる。したがって、時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られるビート周波数信号の振幅の比較に基づいて物標の方向を求めることは、当業者が容易に想到し得たものということができる。
(3) 顕著な効果の看過について
原告は、本願発明は、レーダの監視エリア内に距離の異なる複数の物標が存在する場合に、各物標に応じた周波数のビート信号がそれぞれ得られることになり、その複数の物標ごとの方向をそれぞれ求めることができるという、引用技術(1)及び引用技術(2)とを組み合わせたものでは奏することのできない格別の作用効果を奏するものである旨主張する。
しかしながら、レーダの監視エリア内に距離の異なる複数の物標が存在する場合に、その物標ごとの方向をそれぞれ求めることができるためには、単に、各物標に応じた周波数のビート信号がそれぞれ得られるだけでは不十分であり、各ビート信号の周波数スペクトルの分析によって得られた出力のチャンネル各組ごとに、該出力のレベルの比に基づいて物標の方向を求めることが必要である(本願明細書の【0022】参照)。ところが、本願発明の特許請求の範囲には、各ビート信号の周波数スペクトルの分析によって得られた出力のチャンネル各組ごとに該出力のレベルの比に基づいて物標の方向を求めることに関しては何ら記載されておらず、物標の方向を求める手段に関して、「その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られるビート信号のレベルの比にもとづいてその物標の方向を求める」と記載されているのみであって、ビームの切換えによって時系列的に得られるビート信号のレベルの比に基づいて物標の方向を求めることが記載されているに過ぎない。したがって、原告の上記主張は、特許請求の範囲の記載に基づかないものであって、失当である。
第4 証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
第1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の特許請求の範囲)及び同3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。
第2 本願発明の概要
甲第2号証(本願発明の特許願に添付された本願明細書)、第3号証(平成6年8月29日付手続補正書)及び第5号証(平成9年2月12日付手続補正書)によれば、本願明細書には、次の記載があることが認められる。
1 産業上の利用分野
「本発明は、周波数が時間的に変化するFM波によるビームを送信したときの物標からの反射ビームを受信して、送、受信ビームを混合することによって得られるビート周波数信号にもとづいて物標の検知を行う車載用FMレーダ装置に関する。」(段落番号【0001】。以下同じ)
2 従来の技術
「従来、FM-CWレーダ装置を自動車に搭載して、自動車走行の障害物となる物標を検知して運転者にその検知情報を与えるようにしているが、この種のレーダ装置では、一定周期で周波数変調されたビームを送信し、物標からの反射ビームを受信したときの送、受信ビーム間で生ずるビート信号の周波数から物標までの距離を計測して、その検知された物標の距離情報を与えるにしかすぎないものとなっている。」(【0002】)
3 発明が解決しようとする課題
「解決しようとする問題点は、レーダ監視エリア内で検知された物標の距離に関する情報しか得られず、そのレーダ監視エリア内における物標の位置を特定できないことである。」(【0003】)
4 構成
本願発明は、上記課題を解決するために、特許請求の範囲記載の構成を採用したものである。(【0004】、特許請求の範囲)
5 発明の効果
「以上、本発明による車載用レーダ装置によれば、一部が重複する時分割的な各ビームの送、受信によって得られる各ビート信号の周波数スペクトラムにしたがって、その重複エリア内に存在する各物標を個別的に検知して、その検知された各物標までの距離をそれぞれ精度良く求めることができるとともに、その一部が重複する時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られるビート信号のレベルの比にもとづいて、その検知された各物標の方向をそれぞれ高精度に求めることができるようになる。したがって、レーダ装置本体を1つだけ用いただけの櫛単な構成により、一部が重複するような各ビームを時分割的に切り換えながら送、受信させるだけで、レーダ監視エリア内で検知された各物標の位置をそれぞれ個別的に特定させることができるという利点を有している。」(【0037】)
第3 審決を取り消すべき事由について判断する。
1 引用技術(2)の認定の誤りについて
(1) 審決は、引用例(2)には、「主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一のチャネル(すなわち、同一の周波数帯域)を有するビームを時分割的に交互に切り換えて送、受信する手段」の技術が記載されている旨認定しているところ、原告は、これを争っているので、検討する。
(2) 甲第7号証によれば、引用例(2)には、次の記載があることが認められる。
(イ) 「11.3ビーム切換方式」の項に、「ビーム切換方式は、図11.2(a)に示すように、向きがわずかに異なる2個のビーム(一方向のみの場合)を、交互に切換えて、ビーム1のときの受信機出力と、ビーム2のときの受信機出力を比較する方式である。2個のビームの交点の方向がアンテナ方位とすれば、この方位では、出力が同一になり、目標がアンテナ方位からはずれると、出力は逆極性となるので、角度誤差検出の条件を満足する。図11.3に、ビーム切換方式の追尾レーダ系統図を示す。実際に、空間的に追尾を行うためには、直角方向に、もう一組のビームを設ける必要がある。・・・電子的にビームを切り換えることにより、1チャネルの受信機で比較的簡単に系を実現できる利点もあり、追尾レーダの基本となる思想である。」(272頁3行ないし14行)との記載がある。
(ロ) 図11.2(a)(別紙図面(2)参照)には、ビームと目標との関係として、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複する2個のビームが、(b)には、縦軸を出力振幅とし、横軸を時間とするビームの切換えが、図11.3には、各1個の送信機、送受切換器、受信機、アンテナ等により、ビーム1、ビーム2を走査するビーム切換方式追尾レーダ系統図が図示されていることが認められる。
上記事実によれば、ビーム切換方式は、向きがわずかに異なる2個のビームを、交互に切り換えて、ビーム1のときの受信機出力と、ビーム2のときの受信機出力を比較する方式であり、2個のビームの交点の方向がアンテナ方位とすれば、この方位では、出力が同一になり、目標がアンテナ方位からはずれると、出力は逆極性となるので、角度誤差検出の条件を満足するというものであるから、ビーム検出方式における検出に際しては、受信機出力を検出するのみで必要にして十分であり、周波数帯域の異同には関係しないものであることが認められる。ところで、上記のとおり周波数帯域の異同に関係しない場合、2個のビームの周波数帯域には多種多様の周波数の組合せが考えられるが、その組合せの一つとして、当然に2個のビームの周波数帯域が同一である場合も含まれているものである。したがって、引用技術(2)には、2個のビームの周波数帯域の組合せとして、同一周波数帯域の組合せのものも記載されていると認められる。
また、上記のとおり、引用技術(2)に係る2個のビームが周波数帯域の異同に関係しない場合において、何らかの理由で上記ビームに異なる周波数を用いるべき技術的要請があるといった特別の事情のない限り、信頼性や経済性の見地から、より簡単な技術を用いるのが技術常識であるというべきである。ところで、引用例(2)の記載から、引用技術(2)の2個のビームについて異なる周波数を用いるべき技術的要請が窺われないことからすると、上記ビームは、より簡単な技術である同一の周波数を用いているものと考えるのが自然かつ合理的である。
(3) この点について、原告は、引用例(2)には、一部が重複するように向きがわずかに異なる2個のビームを時分割的に交互に切り換えて送、受信することが記載されているだけであって、2個のビームが同一チャネル、すなわち、同一の周波数帯域を有しているようなことは何ら記載されてはいない旨主張するが、上記認定判断に照らし、原告の上記主張は、採用することができない。
(4) 以上によれば、引用例(2)には、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一のチャネル(すなわち、同一の周波数帯域)を有するビームを時分割的に交互に切り換えて送、受信する手段と、その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られる受信機出力の振幅の比較に基づいて目標の方向を連続的に求めるビーム切換方式の追尾ヒーダの技術が記載されているとした審決の認定には誤りはないというべきである。
2 相違点<2>及び<3>の認定判断の誤りについて
(1) 本願発明と引用技術(1)とを対比すると、周波数が時間的に変化するFM波によるビームを、本願発明は、走査しながら送信するのに対して、引用例(1)には、そのような記載がない点で相違すること(相違点<2>)、本願発明が、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一の周波数帯域を有するビームを時分割的に切り換えて送、受信する手段と、その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られるビート信号のレベルの比に基づいてその物標の方向を求める手段を有するのに対して、引用例(1)には、これらの構成についての記載がない点で相違すること(相違点<3>)は、当事者間に争いがない。
(2) まず、相違点<2>について検討する。レーダ装置は、一般に、無線電波による方位と距離の測定を目的とするものであり、そして、物標までの距離に加えて、物標の方向を測定するために、主ローブの方向が互いに異なる各ビームを時分割的に交互に切り換えて、ビームを走査しながら送信したときの物標からの反射ビームを受信して、その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られる受信信号に基づいてその物標の方向を求めることは、周知の事実である(当事者間に争いがない事実でもある。)。そこで、自動車から周波数が時間的に変化する周波数変調波によるビームを送信するという構成を採用している引用技術(1)において、ビームを走査しながら送信するという上記周知の事実を組み合わせて、本願発明の相違点<2>に係る構成とすることは、当業者がごく容易に想到し得ることと認められる。
(3) 次に、相違点<3>について検討する。
引用例(2)には、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一のチャネル(すなわち、同一の周波数帯域)を有するビームを時分割的に交互に切り換えて送、受信する手段と、その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られる受信機出力の振幅の比較に基づいて目標の方向を連続的に求めるビーム切換方式の追尾レーダの技術が記載されていることは、前記認定のとおりである。
ところで、引用技術(2)における振幅(受信機出力の振幅)の比較に基づいて目標の方向を求める構成と、本願発明におけるレベル(ビート信号のレベル)の比に基づいてその物標の方向を求める構成とは、いずれも受信信号の相対的な大小関係を比較することによって目標(物標)の方向を求めるという点で共通しているものである。
そうすると、引用技術(1)について、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一の周波数帯域を有するビームを時分割的に切り換えて送、受信する手段と、その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られる受信機出力の振幅の比較に基づいて目標の方向を連続的に求めるという引用技術(2)を組み合わせることによって、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一の周波数帯域を有するビームを時分割的に切り換えて送、受信する手段と、その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られるビート信号のレベルの比に基づいてその物標の方向を求めるという本願発明の相違点<3>に係る構成とすることは、当業者が、容易に想到し得ることと認められる。
この点について、原告は、引用技術(1)と引用技術(2)を単に組み合わせても、引用技術(2)の「受信機出力」として、レーダ監視エリア内に存在する複数の物標を弁別するビート周波数信号が得られるものではないから、引用技術(2)の「受信機出力」を「ビート周波数信号」に置き換えることは、当業者が容易に想到し得るとはいえない旨主張する。
しかしながら、引用技術(1)と引用技術(2)を組み合わせる場合、引用技術(1)の周波数変調波によるビームが発射波であるので、引用技術(2)の発射波のように、主ローブの方向が互いに異なり、各ビームの一部が重複するような同一の周波数帯域を有するビームとして、これらを時分割的に交互に切り換えて送、受信されることとなるが、その結果、受信信号としては、ビート周波数信号が、ビーム切換えに対応して逐次得られるとともに、その振幅も主ローブに対する物標の方位に応じて逐次変化することとなるのである。したがって、引用技術(1)と引用技術(2)を組み合わせるに当たって、引用技術(2)の「受信機出力」を「ビート周波数信号」とすることは、技術的に何ら困難なことではなく、原告の上記主張は、採用の限りでない。
(4) 以上によれば、相違点<2>及び<3>についての審決の認定判断には誤りがないというべきである。
3 顕著な効果の看過について
原告は、本願発明は、レーダの監視エリア内に距離の異なる複数の物標が存在する場合に、各物標に応じた周波数のビート信号がそれぞれ得られることになり、その複数の物標ごとの方向をそれぞれ求めることができるという、引用技術(1)及び引用技術(2)を組み合わせたものでは得られない格別の作用効果を奏する旨主張するので、検討する。
甲第2号証及び第3号証によれば、発明の詳細な説明の実施例についての説明中には、「図7は、複数物標を個別的にそれぞれの物標の方向とともに検知することができるようにしたときの構成例を示している。」(【0015】)、「同一チャンネルにおいて物標がそれぞれ検知状態にあるチャンネルが複数組あるとき、すなわち各々異なる距離範囲にわたって複数の物標が検知されているときには、各組ごとにF値を求めて方向角θをわり出すための処理をそれぞれ行うことによって各物標の方向が個別的に求められる」(【0022】)との記載があり、また、図面の簡単な説明には、「本発明による車載用FMレーダ装置の基本的な構成例を示すブロック図である。」との記載とともに、そのブロック図として願書添付図面の【図7】が示されていることが認められる。
上記記載によれば、原告主張の、レーダの監視エリア内に距離の異なる複数の物標が存在する場合に、各物標に応じた周波数のビート信号がそれぞれ得られ、その複数の物標ごとの方向をそれぞれ求めることができるという作用効果を奏するためには、各ビート信号の周波数スペクトルの分析によって得られた出力のチャンネル各組ごとに、該出力のレベルの比に基づいて物標の方向を求める技術的手段が必要である。
しかしながら、本願発明の特許請求の範囲には、物標の方向を求める手段として、「その時分割的な各ビームの送、受信によって逐次得られるビート信号のレベルの比にもとづいてその物標の方向を求める」との記載があるのみであって、上記のような技術的手段についての記載は存しないのであるから、本願発明は、上記技術的手段を包含するものとはいえない。
そうすると、原告主張の上記作用効果は、本願発明の構成を採用することによって奏する作用効果ということはできない。
その他本願発明が引用技術(1)及び引用技術(2)を組み合わせたものでは得られない格別の作用効果を奏するものと認めるに足りる証拠はない。
第4 よって、審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結日 平成11年5月25日)
(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 山田知司 裁判官 宍戸充)
別紙図面(1)
<省略>
別紙図面(2)
<省略>